チラシの裏のメモ書き

嘘と本当もあるちゃんと言えないブログ

散髪

三和は、お盆のときに、髪を切った。
ちびまる子ちゃんみたい」と、第一声で中川さんに言われた。微妙にショックを受けた。「そこなの、そこに行っちゃうの?」と、感じていたがニコニコと笑っていた。
久しぶりに会う家族からは、「また、切ったの」という言葉だった。
常連のお客様からは、「バッサリ切ったね。イメージが変わって、わからなかった」という言葉をもらった。

三和には、尊敬する女性がいる。彼女に外見だけでも近づきたくて切ってみた。だか、イメージとは違いすぎた。
 切ってみたら、真っ赤な色が目印のサランラップのCMの子みたいになった。

もともと、小さな頃から、髪が短い方だった。後ろは、刈り上げて、横は耳の所まで短かった。
人に言うと、「活発だっだ」とか、「スポーツ少女だったんだ」と、評される。たんに、母の方針で切っていたり、自分に合う髪型がわからない子だったのだ。
髪の毛は、「食べ物を食べるときに、口に横髪が入らない長さ」というのが母の方針だった。
そうして子供の頃に、散髪されるときには、母の髪は長く伸ばされていた。三和は、彼女を、羨ましく見ていた。
長い髪の毛に、反発を覚えたものだった。三和は、自分の頭に似合う髪型がわからない。そして、母親という散髪の権利を持つ者を憎むのは、簡単だった。
母も、よく娘の怒りを引き受けてくれたなと、思う。 
ある時から、母の髪型は宝塚みたいに短くなった。その一方で娘の髪は長くなった。いつの間にか、髪型が逆転し出した。
 彼女は、卒業式間近になると、ボブまで伸ばす。そして、卒業式後に切るというサイクルが出来た。長くとも、ボブ程度までしか伸ばせない。肩より長い髪にはなったことはない。人生で一番髪が短かったのは、21歳の頃だった。その時は、坊主にした。父が、珍しく「良いね」と、誉めてくれた。
まぁ、どう髪型に疎いとしても、気づくだろう。そして、父としては、複雑な気持ちもあっただろう。あの時に肯定的に受けとめてくれた、父にとても感謝している。
「(坊主頭も)似合うね」と、言ってくれた。
坊主にした時に、母は笑って、よく髪をさわろうとした。そのような無邪気さは、三和は嫌いだった。
髪を切る時に、母が坊主頭に否定的だったのをすっかりと、忘れている。