保育園が私に必要な理由

一緒に暮らして、たまに、ご飯を食べてぶつぶつ、その日にあったことをパートナーに話す。
でも、パートナーはしんどいから、話を聞いていない。半分、寝ている。
洗濯も家事も女の私がする。
しんどくなったら、代わってもらうなんて、頼めないのかもしれない。頼んで代わってもらえたら、いいな。
たまに、美味しいものを食べに行きたいな。
子供が出来たら、一緒に遊ぶ。
ちょっと、うちの母やお婿さんのお母さんに任せて、子どもと離れる時間を作る。
保育所に子どもを預けて、自分がだらーっと出来る時間を持つ。
そうしなきゃ、多分、子供を愛せない。
子どもと距離を持つ。そうしなきゃ、ダメだ。
四六時中、親をすることは出来ない。聖人君子であるのは、出来るのだろうか。無理だ。
子どものために親というのを四六時中は、出来たらいい。けれども、四六時中の感情コントロールは、うまく出来ない。
子どもだって、疲れてしまう。
母親の愛が与えるなにかを、出来たらいい。
でも、保育園が必要なのは、子どもから離れるためだ。
子どもに愛を渡すためにちょっと、愛の補給の時間が必要になる。
それは離れる時間で成り立つ。
と、わたしは思う。
彼女/彼は私が見捨てると思うだろうか。
わからない。わたしは、自分の時間が必要だから、保育園に預ける。
それは愛する力を補給のためだ。
だらーっとした時間が取れて、気分転換が取れて、それでまた、頑張ろうとか、大切にしようとなるんだ。
完璧になれないから、子どもにぶつけそう。それでいいのかな。
子どもは、親が不完全なのを知っている。でも、小さいときは知らない。だから、傷ついちゃう。
それは、私も傷ついちゃう時間だ。
どうしたら、お互いの傷を小さく、うまく付き合っていけるのだろうか。嘘つきだろうか。臆病だろうか。