自覚がないの

 桜井三和の周りには、人に話していいこと、悪いことが区別がついている人がいた。周りの人はそうなんだけれど、彼女はうまく、その辺を教育されなかった。自分でも、ちゃんと学ばなかった。
 彼女は、相手の気持ちを考えるずに、口に出してしまう癖がある。素直だとも言えるし、無神経だとも言える。正直だがTPOをわきまえないとも言える。長所は短所なのだなと、三和は思うのだった。
 家庭では三和は母親に『~さんには、○○と言うたらあかんで』と教わる。三和は特に理由も知らせられなかったのと、理由を自分で考えることもしなかった。
 けれども、あとでなんでだろうか、と母に聞いておけばよかったと、三和は後悔している。そして、なぜそういう風に注意されるのか、どんな理由からか、母親の理由を聞く癖をつけておけばよかったのに、と思う。考える癖をつけておけば、よかったと思う。
 母親なりに、三和の素直さが時に人を傷つけると思ったのかもしれない。だが、時たま母親の注意は外れていると思うことが三和にはあるのだった。彼女が考えも、思いもしないことをたまに言うなと、母に注意された。そういう時は三和は「そんなことは言わない。考えていない」と反論した。
母親には、三和の頭の中がわかるわけではない。
母親も娘が何を言うかわからずにハラハラしていたのではないか、と今になっては、思うのだった。
だから、心配になって、先に先に道をふさぎ、釘をさすことで、娘を守ったのではないか。
今、「娘を守った」と思うことが、三和には不思議でたまらない。
娘が言ってはいけないことを言い、相手を傷つけるのをさける。それと、共に娘が傷つけられたり、ばかにされるのをさける。そんな意味が、母親の注意にはあったのではないだろうか。
三和には、「別に誰が傷つこうがかわない」と思う節がある。一方で、「自分は相手には悪く思われたくない」、「傷つきたくない」と思うのだ。「私は自己保身や体面しか考えていないのだろうな」と、三和は思う。
大学や高校の時に、アルバイト先で『○○だから、○○しちゃいけない。(さらに)なぜなら~』と叱られた。よく、何回も外の人からは、思いやりを持ってと、叱られる。そして、母親には、理由も言わずに、言わないでと、諭される。
昔、三和は不思議だった。母親が「言うたらあかん」と言いながら、母親が、三和や兄に「言うたらダメ」な心情を吐露している。つまり、家庭と社会は別なのだろうなと、彼女は感じる。
社会では時に口をつぐまなきゃならない部分がある。それを、家庭でぐらい吐露しなきゃ、やっていけないのだろうな。
彼女は「母親は、教育が下手くそだった。」と思っていた。三和の母は「己の体面しか考えていないことを、自分でわかっているのだろうか。」と思う。
一方で、自分にもそういう部分があり、「自分のことはわからないし、誰かに投影してしまう」と思う。
彼女は、「押し付けの親切」、「ありがた迷惑だ」と注意される。
それは、母親がそうやってきて、自分が拒否出来ないからだった。
他者にも自分が母親にされたことをやってしまっている。
本当は、拒否したかった。いつの間にか、できなくなってしまっている。
愛されないのが怖いのだ。