チラシの裏のメモ書き

嘘と本当もあるちゃんと言えないブログ

かさぶたを取るように

思い出す。空気を読めないと言われた。とりあえず、人間観察して、この時にはこういう返事とか、対応になるみたいな予想をつけてるけど、やっぱり予想が外れる。そして、対応に困る。
職場の人を上手にフォローしたり、助けたいから、そうしようじゃない。ただただ『空気を読めない』と叱る結崎さんに叱られたくないから、周りを観察する。全く、動機が良くない。
理想的には、自分はエネルギー源としていて、しっかり観察して仕事をこなせる力をつけたい。無駄にエネルギーがあるから、上手に周りを巻き込みたい。でも、人の気持ちを考えれないからか、人を踏みにじっている。そして、叱られる。特に上司の結崎さんを、踏みにじっている。
結崎さんのやったことを踏みにじらないようにしたい。結崎さんを、たてれるようになりたい。
叱られたくない。もう、痛い思いはしたくない。自分が相当キツい言葉を使うの、知っていてやっているのだろう。他人の痛いとこばかりついてくるのは、いっぱい傷ついたからなのだろう。
いつ突こうか、いつ、突こうかと狙って、自分を守るために観察するのだろう。もしかしたら、結崎さんは痛みに弱いから、そうして相手の痛いとこを先に見つけるようになったのかもな。
わたしにもそういうところがある。
他人の短所ばかり見つけるのが得意なところだ。
叱るにはエネルギーが居る。結崎さんに対してはいつ、怒られるのか、どうしたら叱られないかばかり気にして、あまりよい方には自分は、いってない。
こんな自分の出方はよくないし、成長出来ないと思うのに、痛みばかり感じてしまう。
今こうして、書くうちに、結崎さんが『ほんまに、自分のためと思って叱っているのかな?』と思う。ただ、間が悪いときに私が怒らせるようなことをした。
正論で、傷ついた気持ちを守り、自分が潰されないように感情的に怒りをぶつけているのかもと、思ってしまう。
叱られて、痛いとかしか思えなくて、納得できない。
反省していなくて、結崎さんのせいにしようとしている。
どうしたら、感情と、事実をわけて考えることができるのだろうか。

結崎さんは、いっぱい痛い思いをしてきたのだろうな。そして、自分がまた、痛みに塩をもんでしまうのだろう。
どうしたら、叱られないじゃなくて、どうやって、結崎さんをこれ以上傷つけずにすむだろうか。
まるで、「図書館戦争」の笠原さんと、堂上教官みたいだ。
堂上教官が捨ててきた、我慢して、痛みばかりで、傷ついた自分を守って、成長してきたもの、その過程で捨ててきたものを、笠原さんは拾っている。笠原さんを、堂上さんは、ほっておけないと、小牧さんは言う。
わたしも、結崎さんからは、そう見られているのだろうか。
自分も痛い思いをせずにすむだろうか。
本当は叱ることより、誉めてほしい。
結崎さんに認めてほしい気持ちが強い。
けれども、結崎さんが誉めてくれなくて、頑張ったアピールしても、叱る時ほどに、感情が動かない。
そして、結崎さんが許せない。尊敬していたのに、しょうもないことで仕事を休んだから、許せない。わたしと同じ場に居ても、同じ仕事をやってくれないから、許せない。立場の違いがあるから、許せない。今の現場の叩き上げでないのに、理論だけはわかっているから、いちいち、欠点をあげつらうのは、許せない。
もっと、結崎さんに評価されたい。わたしも、もっと、上にいきたい。けれども、現場にも居たい。
職業人としてか、尊敬が憎しみに変わるのは、子供のようで、そんな自分の感情が許せない。もう、子どものようだけれど、関わらないと決めた。
余計なことは言わないと、決めた。本当はかまってほしいと、最近、気づいた。本当は、わかって欲しくて、完璧であって欲しくて、だから、許せないと気づいた。
苦しい。完璧な人なんて、居ないのに。
辞めていった人が、「結崎さんだって、完璧じゃない」と言った。どういう意味かは今はわからない。
けれども、なんとなく、最近、結崎さんの完璧像が崩れつつあって、つきあい方がわからない。
こちらの気持ちを知らないのか、知っているのにあえて、スルーしているのか、もどかしい。
中川さん、伊世さんも、もどかしい。
伊世さんは、結崎さんに賛成する部分もあって、「ちょっと味方してくれてもいいのに」と思う。
けれども、職業人的な部分が結崎さんに、賛成するのだろうな。
伊世さんにも、子どもっぽいと言われる。
それで、伊世さんのご両親には会わせて頂けない。
本当か、そうやって、遠巻きにことわっているのか、わからない。
伊世さんを信じたいのに、結崎さんのように求めてばかりになってしまう。どうやったら、いいのだろう。
期待しない、求めない人間になりたい。
自分が成長する方に、自分に期待というエネルギーを向けたい。
自分に求めるにエネルギーを向けたいのに。