片想い-中川と桜井

『この間、船でハンカチを落とされていませんでしたか?』
キッチンのカウンター越しに、声をかけられた。顔をあげると、髪の毛を刈り込んだ男性が、こちらを見ていた。
ハンカチ?一瞬、頭の中で時間を遡ると確か、紫舟さんにもらった、ハンカチがなかった。少し、間が空いてから返事をする。
『落としましたけど、どうして……?』
『あなたともう一人の方とすれ違った時に、船の中にハンカチが落ちていたんです。時間がなくて、声をかけそびれてしまって……。』
日曜日に、恋人の紫舟さんと自衛隊の艦隊の案内を見に行った。少し、船の中を見学させてもらった。


一瞬の出来事だったのに、よく顔を覚えているなという疑問が浮かぶ
不振そうな気持ちが顔に出ていたのか、相手が言葉を重ねてくる。 
『整備員の中川伊世です。職業柄、物の名を手早く覚えなければならないことが多いもので。』
『そうだったんですね。びっくりしました。わざわざ、ありがとうございます。桜井三和です。それじゃ、もしかして……』
中川さんへなんと言おうか、一瞬迷う。
なにかを察知したのか、中川さんが言葉を重ねてくる。
『職業のことは、内緒ですよ。良かったら、連絡先を、交換しときませんか?こういう席なので、一応、誰かと知り合っといた方が良いと思いまして』
最後の方は、私だけに聞かせるように小声になっている。そんなに隠さなきゃならないのだろうか。

部屋には数人の男女が居た。
あまり、男性と話したくないという理由で、料理当番を申し出て、カレーを作っていた。
今日の私がなぜ、こんな場所に居るのかといえば、数日前に遡る。

ホームパーティー感覚で合コン・婚活ができる“部屋コン”というサービスは知っているだろうか。部屋コンとは、「いずれは結婚したいけれど、相談所に行くまでではないかな」「次付き合う人とは結婚を考えたいな」という男女に向けて、都会のオサレなマンションの一室で開かれているパーティーイベントのことだ。

親戚からの『いつ、結婚するの?』攻撃をなんとか、『仕事が忙しい』とかわしていた。そこへ、『小笠原宮家の内親王、祥子殿下ご婚約』というニュースが飛び込んできた。同年代の結婚に親戚は舞い上がって、わたしにこの部屋コンなるイベントを紹介し、行く羽目になった。
相談すると、恋人の紫舟さんは『役割が決まっていた方が三和も一応、相手を見つけやすいでしょう。ノンケのパートナー見つからなくても、合コンにいったいという事実は残るわけだし』と、同意された。 

部屋にあるキッチンは、なんのためにこのパーティーに参加しているのかわからないほど、ドタバタしていた。
それぞれに、エプロンを着て、小さなキッチンで動き回っているのは、調理を申し出た女性たちである。
何をどうしたらそうなるのか、想像するに卵を混ぜるという動作だろうボールを叩いている女子とか、包丁を持って『とりゃー』と叫んで、野菜を回りに飛ばしまくっている女子とか、何をどうしたら、そうなるだろうかという女子たちがひしめいている。
わたしはつい、野菜を飛ばしている女性に見とれていたら、知らない男性に声をかけられた。………いかん、いかん。今日は、かわいい女性をナンパしに来たのではない。オスを獲得しに来たのだ。
カレー鍋に木ベラをつきたてて、大きく鍋をかき回す。さながら、童話に出てくる魔女のようだと、三和は思う。
笑えない。

三和がカレー鍋の木ベラを置いているまに、中川と名乗った男性が、どこからか紙とペンを取り出してきて、なにかを書いている。
サッと渡された紙には、携帯電話の番号と、今時珍しい、メールアドレス、ラインID、フルネームが書いてあった。
『ハンカチをお渡したいので、お暇な時にでもメールをください。ラインでも、構いません』
そういうと、用はすんだとでも言うように目の前から立ち去っていった。

『え、ちょっと、こっちの連絡先教えてない』
モタモタしている間に、彼はどこかに行ってしまった。
最初はただ、ハンカチを落として声をかけられたんだっけ。
三和は、後々、そう思い出す。
『顔のわりに律儀なとこがあるんだから』

そこから、伊世に連絡をして、ハンカチを返してもらった。
ハンカチを口実にか、なんとなく、伊世から食事に誘われるようになった。
三和も、地元の観光地に誠吾を誘ってみた。

休みが合わないのでなかなか、合うのは難しかったが、伊世は遠くからゆかりの居る街まで来てくれた。

男性の運転する車に乗ったのは、中川の車が初めてだった。

紫舟さんは、ペーパードライバーで、三和も免許は持っていたが運転は紫舟さんに止められていた。
二人で出かける時はいつも、電車だった。
紫舟さんとは、嵐山に行った。三和も所属していた放送部で、放送の神様らしい電電宮にお参りした。

紫舟さんは、傘が似合っていた。三和の住んでいる奈良に、紫舟さんが来てくれて、二人で歩いた。紫舟さんは、髪が短く、身長もスラッとしている。宝塚みたいだなと、三和はいつも、うっとりとした目で恋人を眺めていた。

中川さんは、距離の取り方がうまかった。三和が少しおめかしをしていっても、そういうことには全く触れない。

今日も三和はかからない電話をかける。何回電話をしても、中川は繋がらない。本当の夫婦になりたいと言った翌日、中川は二人で暮らしていた家から出ていった。

家を決めたのは三和で、家具は紫舟さんと二人で見に行った。

プロポーズは中川からだった。けれども、彼は女性に興味がないと知っている三和には以外だった。

中川の部屋をたまに、掃除に訪れていた。家事をして、帰ってくる。そのくらいだった。たまにお菓子が置いてあり、お礼の手紙が添えてあることもあった。

何回目かのデートの時に、部屋が汚いので、電気屋の同級生に片落ちした『自動掃除機』を貰おうと思って居ると伊世から聞いた。
どうやら、諭吉さんがいくらか飛んでいくらしい。
『わたしがたまに、掃除に行きましょうか?』
なんとなく、いつも、伊世に運転してもらったり、何かをもらってばかりな気がしていた。
伊世は驚いたようだけれども『お願いします。ただとは言いません。ちょっと、お礼でも』と言いかけて、『いえ、何もいりません。掃除が好きなんです』と三和が強引に迫った。

伊世の部屋は、男所帯ながら掃除が行き届いていた。しかし、隅々には、埃が残っいた。
三和は、掃除をした。伊世は長く家をあけることもあり、そういう時には、ともかく、清潔に保とうとした。いつでも、彼が帰ってきて、気持ちが良い家で過ごしてほしいと思っていた。紫舟さんもたまに手伝いに来た。

三和が中川の家に居るとき、伊世とはほとんど顔を合わせなかった。

けれども、帰ってきた時には外国の珍しいお菓子が置いてあったり、花が花瓶にさしてあった。誰かへの贈り物なのだろうと、ほっておくと、手紙がついていた。自分の名前だった。お礼にとのことらしい。 

たまに伊世から、食事に誘われた。彼女も、彼を食事に誘った。

紫舟さんを恋人だと、伊世に紹介した。誠吾は驚いたようだけれど、特に不振そうにはしなかった。

後から、伊世から自分はゲイだと打ち明けられた。

紫舟さんには、申し訳ないが、だんだん彼が素敵に見えてきてしまったのだ。別に同性愛という自分の性的な対象が変わったわけではない。彼ならば、大丈夫だという直感があったのだ。