外に出る

 買い物や仕事は、頑張って、「エイヤー」とか、掛け声を口に出して、扉をあける。そう鼓舞しないと、どこかに出るのが難しい。 人と約束したら、出掛けるのは出来る。でも、そのときもよほど親しい方でないと、鼓舞が必要だ。 時間があるなら、付き合ってくれという連絡が来た。二人は、私の親しい友人だ。三人で、たまに出かける。ひとりは女の子で、ひとりは男の子だ。ひとりは寒いのは苦手で、暑さはそんなに感じない。もうひとりは逆だ。そして、男の子には婚約者が居て、女の子には養う家族がいる。  男の子は、婚約者への誕生日プレゼントを買いに行きたかった。女の子が居ないと、そういう女の子が入るようなお店に入りにくいからという理由で、女の子を誘う。女の子は、息抜きにという理由だった。私は、出かけたい。三人三様の理由で出かけた。

私は日常の家事は問題なく、出来る。ただ、外出には、小さな声かけが必要だ。 一人で小さな声で「カメハメハー」とか、叫んで扉をあける。誰も見ていない。私だけの秘密だ。

今日もそうして、誘われたので、「ガッツ」と叫んで外に出た。

駅前で待ち合わせをする。久しぶりに会うので、声をかけられるまで、わからなかった。女の子は、眼鏡を変えていた。男の子は、服装の趣味が変わっていた。

眼鏡を変えた理由を聞くと「誕生日を期に、気分を変えたくて」と言われた。眼鏡で、ずいぶん、印象が変わった。鋭い感じだったのに、なんだか、丸く柔らかくなっていた。「似合うね」「柔らかい感じだね」とのべていた。男の子には、二人で「彼女の趣味?」と聞けば、「そう」と答えていた。彼は、白いセーターを着ていて、冬物の上着のチャックを開けていた。彼女さんに、開けられるそうだ。「寒そうだね」「彼女さんに、尻にしかれているね」と好きなことを口々に話す。そして、私は「変わってないね。ちょっと痩せた?」そんな言葉を頂く。変わってないのは、私だけだった。 他愛のない会話をしながら、人垣をかき分けて歩く。お目当ての大きなショッピングモールまでは、バスに乗らねばならない。幸いすぐにバスが来て、バスに揺れていた。バスの中では三人とも黙っていた。バスが、お店に着いた。

男の子が率先して歩く。希望のあった、女の子が好きそうなお店に入る。私は、フライパンをみる。男の子は、これ幸いと婚約者が好きそうな雑貨を見に行く。女の子は、自分の好きなハンドクリームを見ている。私たちは同じ店で居て、それぞれに好きなものを見ている。たまに、男の子がそばに寄ってきて、「これは、女ものだと思う?」「そうだね。男性はつけないデザインだね」という話をする。けれども、また話が終わると、目的のものを探しに行く。  私は、女の子のそばに寄っていって「何を見ているの?」と聞いて、説明を聞く。満足したら、離れる。そんな感じでお店をまわる。  なんとなく、入り口でクリスマスのオーナメントを見ていた私の基に、二人が立っている。そろそろ、おやつの時間だった。昼の三時なので、喫茶店で休憩を取る。迷わずケーキと紅茶を頼んだ男の子、珈琲を頼んだ女の子、カフェオレを頼む私とまた、三者三様。 喫茶店では、三人でそれぞれの生活の話をする。それぞれの持つ問題を話題にする。そして、私がなんとなくアドバイスを伝え、もうひとりは感想を伝える。感想を話す理由を聞いてみたら、「知らないのに、安易なことは言えないから」らしい。仕事やその環境の問題解決は本人しか出来ない。だから、話を聞くときは、感想を述べるか、物の見方に偏りがあるときはそれを指摘するにとどまる。 もちろん、問題解決を望んでいたら、それにそう答えはする。けれども、だいたいはそれを望まない。私は話を聞いてほしく、彼らもそんな感じだ。でも、感想を越えて、アドバイスをしてしまう。すると、しおれた花のような顔をされる。だから、聞く。  彼らとは、長く疎遠だった。最近は、良い関係を作ろうという、気持ちが実っている。その感覚を得るために、私は、長い時間がかかった。

つらつら考えていたら、音が聞こえた。広場の方で演奏会をやっているみたいだた。女の子が、アニメ好きで、最近、「金色のコルダ」を見たらしい。なんでも、バイオリンを妖精からもらった女の子の話らしい。男の子は、バイオリンを習っていた。今は、先生が育休中らしい。私はとりあえず、音が気になり、見に行く。二人とも、ワクワクした面持ちで、演奏を見ていた。演奏中、時計を見た。女の子は「午後から予定があるから、またね」とすたすたと帰ってしまう。二人で何をしようか、と思う。なんとなく、近くで開催の街中展覧会を、思い出す。今日が展示の最終日だった。男の子を、連れていく。  ギリギリに展示を見に行き、顔見知りの本屋さんと、珈琲屋さんと、大学の先生に男の子を紹介する。また、ちょっとフェイスブックに暗い内容を書いていたので、心配される。少し男の子をほっといて、話す。一応、男の子を紹介する。 また、本屋さんと話す。  二人になった時に、男の子から、びっくりされる。「随分と、社交的だね」と。そうだろうか。普通に話しているだけだと思う。  男の子と、女の子と三人で出かける時は、だいたい、私は後ろに隠れるようにしている。そういえば、私の知り合いが居るところには、彼らを連れて行く機会がなかった。そんな言い訳じみたことを話す。  珈琲屋さんに珈琲を頼んで、飲む。寒いので、本屋さんのお店を開いている、建物で珈琲を頂く。珈琲を終えて、男の子とまた話す。帰ろうかという話になる。帰る。帰り道が途中まで、同じなので、男の子と話す。  なんとなく、話がつきない。男の子の、名前を呼び間違える。「それは誰?」と言われ、その人の話をする。無意識に知っている人の名前を呼んでしまう。自分でも、無意識でびっくりする。その人は、健常者だ。とても、努力家でリーダータイプで、負けず嫌いだ。彼のお陰で私の世界は大きく変わった。その人は、暖かい。百獣の王のような人だ。人をやる気にさせるのがすごくうまい。だから、この人の部下でありたいと、思う。逆にその人は、相手を支えようとする。相手のためにすごく努力をする。だから、その人を支えたいと思う。けれども、私は支える力不足で、出来ない。期待に応えれない。そんな話をする。結婚と、私は、口にする。結婚はしたいけれど、彼には私が遇わない。すごい素敵な人だけど、彼の求める理想像には叶わない。私は、そんな風に話す。男の子からは、びっくりされる。私から結婚という言葉が聞けたかららしい。男の子は、黙って聞いていた。解決策を求めていない私は、スッキリした。 私は、好きな人が居る。けれども、彼の期待が大きすぎて、辛い。もしかしたら、彼には私からお金を稼げという話が出ていて、それが重いのかもしれない。私は、彼とは別れた方がいい。別れたくない。なんの努力もしていない。けれども、捨てられそう不安でなにもしたくない。出来ない自分を抱き締めている。 そんな話をして、男の子は帰路についた。 実は男の子と、女の子と出掛けるまでにお腹が痛くなった。何回も、辞めようと思った。でも、無理に出掛けた。不安に押し潰されそうだけど、すごく楽しかった。楽しい時間は、持った方がいい。

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「傘を開いて、空を」というブログの文体を少し真似て、文章も、真似てみる。再現は出来ないけど、頑張ってみた。

結局、再現は出来ない。けれども、文章を真似しながら思う。ブログ作者の「マキノ」さんの書く文章が好きだ。抽象的で、まるで第三者や、第四者みたいな語りが心地よい。ちょっと、寓話的な内容だと心が痛くなることもある。けれども、好きだ。わたしは書けないけど、読みながら、すごく一つのテーマに内容がまとまっている。だから、好きだ。迷子にならない。

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取り扱い説明書(仮)

私は、適応障害と言う診断名があります。以下のような、内容が当てはまります。

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なんでもないことが、気にかかります。気持ちが気がかり過ぎて、緊張状態です。だから、体が、疲れます。たまに、何気ない言葉に対して、涙が出てきます。 他にわたしは、言葉や、音、人の集団に敏感です。苦手です。 たまに、耐えられる時もあります。しかし、体が疲労していると、耐える力が足りなくなります。新しい環境も、苦手です。

わたしの場合なので、個人個人で差があるでしょう。

本当に些細なことに敏感なのです。自分でも、何がツラいのか、たまに説明が出来ません。 苦手なことは、得意なことでもあります。素晴らしい音楽や、ラジオから流れる音楽やラジオパーソナリティーの言葉に深く感動します。ラジオに感想を送るリスナーさんの言葉にも、深く感動します。また目で読んだ言葉にも、心を揺さぶられます。おそらく、言葉を、意識して、選んでいるからだと解釈します。 他者の言葉でも、傷ついて、ハリネズミ状態になる言葉と、そうでないものがあります。 それはわたしの気持ちや、体調次第であります。 ハリネズミ状態とは、攻撃的という状態です。痛くて、痛くて、痛みしか見えなくなり、相手に攻撃的になってしまいます。

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結果というのは、耐えられなくなって表れる病状や、言動です。

  1、「すみません」が口癖

 自分が悪くなくても、真っ先に「すみません」と謝ります。極端な例え話をします。 例えば、私が緊張しているとします。そんな時に、風邪にかかり、病院に行きます。その時間は、医師との診察時間です。診察の際に、今、飲んでいる薬の名前を聞かれます。私が薬のを間違います。そして、「薬の名前は○○です」と医師に訂正されます。すると、すぐに「すみません」と言います。それは、反射的に出てきます。身を守る防衛の言葉です。緊張状態では、言葉が浮かばず、「すみません」が出ます。また、自分がどういう状況かを把握できていないのです。しどろもどろで、うまく、自分の風邪を説明出来ません。その結果、適切な薬が出ないことがあります。医師は、怒っているように見えて、緊張が高まります。

2、自己反省モード

上の例えの続きから、話します。あくまで、極端な例です。 医師にうまく伝えれません。喉が痛いのに、鼻風邪の薬を出されたとします。 その時に、「私が緊張していたのが、悪くて、話せなかった。鼻風邪の薬は、私が悪いから、出されたんだ」繰り返し、繰り返し、そう思います。 人に説明する時も、そのように伝えるしかありません。人に話せば話すほど、顔色が悪くなります。気分が沈みます。体が風邪以外に、重たく疲れを感じます。

このように、うまく出来なかった自分を責めて、前にも、後ろにも進めない状況です。 私は自分で「自己反省モード」と名付けました。

3、外出にサポーターが必要

一緒に目的を果たす人です。ただ、目的地まで一緒で、途中で解散して、また集合という形態が楽です。

この前、知人と約束して、一緒に買い物に行きました。とても、楽でした。それは、互いに長い時間をかけて、作り上げたものです。

【他者評価】

他者の言葉があります。優しいとか、他人を否定しないとか、真面目すぎるとかです。でも、家族の側から見たら、裏返します。

家族には受け取りかたが歪んでいる →自分の理解出来ないこと、嫌なことは、相手が悪意があるに違いないと思う

親の言葉を素直に聞かないし、頷かないし、親の言葉に反抗的に返す →自分の思いと違うと、とことん反論する

思ったことを素直に、他人に言わない →苦手でも、大丈夫といい、否定しない

補足します。攻撃的な理由が、ちゃんとありました。

このようなツイートがあり、考えました。まず、わたしは、何故だか、長く酷い状態にありました。わたしの世界は次の通りです。「自分は世界から浮いていて、誰にも理解されない。そして、世界が自分を理解しないのは、自分が悪いからだ。あるいは、世界が自分を理解しないから悪いんだ」と、思っていました。このように、わたしの認知は歪んでいます。その事に気づくまで、時間がかかりました。たまに、自己認知の歪みがわからなくなります。

相手が私を責めていなくても、自己消耗が激しいと、知らぬまに自己防御にまわります。それが、認知が歪んでいることです。それは、ハリネズミ状態(臨戦態勢)ということになります。

最近のわたしは、ハリネズミ状態です。それは、疲れていて、余裕がないからです。

何気ない言葉に傷つくというのは、相手のせいではないです。違います。私がハリネズミ状態だからです。

つまり、全身から針がはえています。ハリネズミ状態を理解してくれる方には、ハリネズミの針が出ません。

消耗し、あまりにも、自己反省がひどい時があります。すると、相手の気持ちにまで、気持ちがまわりません。それが、相手を消耗させる原因だと、このツイートは気づかせてくれます。

親しい人に攻撃的になるのは、ハリネズミ状態の時です。言葉は、私への攻撃だと、理解されます。たとえ、それが私を思っての言葉でも、わたしの認知がうまくいきません。

自分がハリネズミ状態というのに、気づけません。だから、わたしの側にハリネズミ状態という認知が必要です。

それをわかるために、ちゃんと休まないといけません。今は自分はハリネズミか、そうでないかを理解して、相手に伝える必要があります。

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月の片割れは大根

月は、真っ二つに切られたようにはんぶんこでした。

月の片方はコンビニおでんの大根となりました。

コンビニでおでんが、買われました。人間に、食べられて、排泄されて、トイレで流されました。浄水場から川に流されました。そして、川の空気が太陽の熱で薄く蒸発していきます。ちょっとした、空気になり、空に戻りました。

片割れを探していた空では空気の結晶を集めて、精製しました。そして、月がコンベアンーから、空に戻ってゆきます。

夜の時間のある国の空の方に。

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思いつきさんの、炊飯器ケーキ

三和さんは、図書館でよく本を読んでいました。そのなかに「こまったさん」というタイトルの本がありました。

三和さんは、時々、自分の行動を米粒や、空気に語らせました。名前のない物に語らせることで、第三の視点で自分を俯瞰しようと思うのです。

三和さんには、自分の行動にも名前をつけました。それが先ほど申し上げた、「こまったさん」ならぬ「思いつき」さんでした。

思いつきさんは、暇な時によく、思い付いたことを次々やっていきます。特に最近は、お菓子作りにその時間と発想を使っています。

クックパッドというインターネットの料理コミュニティサイトを携帯電話にインストールしました。そこから、様々なお菓子のレシピを見ていました。家にあるもので何か、出来ないかと思うのでした。

そして、今日もひとつのお菓子が産み出されました。

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カボチャの黄土色がしっかりと、にじみ出ています。このお菓子は、様々な修正を加えられた結果、炊飯器で蒸され、温められました。炊飯器は、様々な失敗のお菓子を、ケーキという成功に導くために使われました。 作り主は、小麦粉、砂糖とバターのクッキーに、カボチャを加えることを思い付きました。そして、カボチャを切って、そのまま材料と共に混ぜました。けれども、混ぜている途中に、豆腐と牛乳が、賞味期限切れ間近なことに気づきました。あわてました。今のお菓子に牛乳と豆腐を加えることが出来ないか。そう思い付き、クックパッドで、探しました。すると、クックパッドには、豆腐とおからのクッキーがあるではないですか。豆腐を加えました。残りは牛乳です。どうしよう。悩むことではなく、炊飯器ケーキにしてしまうことを思い付きました。ちょうど、牛乳に量も少な目でした。牛乳を加え、いざ、炊飯器に投入。

炊飯器に入れてから、ピッピーピッピーと時間になると、ケーキが炊けました。おや、なかを開けてみます。お玉でさわると、なんだか、ねっとりした感じを受けます。少し置いてみますが、ねっとりは変わらずです。仕方なく、皿にひっくり返すと、スポっと抜けました。形にはなっているようです。包丁を入れます。すると、また、ネトネトとした、刃が入るのを拒むような切りにくさです。なんとか切り取ります。一口、食べてみますが、柔らかくて甘い餅を食べているようです。少し、固くさせようとトースターで焼いてみました。少しは、固くなりました。けれども、今回のお菓子作りは失敗に終わりました。 思いつきさんはサクサクのクッキーか、ふわふわのケーキを思い描いていました。しかし、出来上がったお菓子は、そのどちらでもありませんでした。 仕方なく、思いつきさんは、三度にわけて、それを一人で食べました。 お腹はいっぱいになりました。けれども、気持ちは満足しませんでした。思いつきさんには、お菓子を食べさせたい相手がいました。けれども、最近はなかなか、会うことも叶わないのでした。その人が、忙しいことを思いつきさんは知っていました。 だから、思いつきさんは思います。いつか、その人に食べてもらえる日が来るまで、自分の味を作っておこう、と。

愚痴は言わない、疲れた

私は、文章で書くことにより、世界を判断する基準がわかる。

最近、自分の目で見てみて、フェイスブックの記事を消している。  人から、面接官の目で見て、フェイスブックの内容を吟味するように、というアドバイスを受けた。そして、私はそのアドバイスに従い、さまざまな記事を消すことを決めた。 フェイスブックは、公共の空間だ。そこには毒を吐くのも、唾を吐くのも、よくない。私の書いた内容は、そういう唾だった。公共のマナーに反する。そして、私の発信が、職場の情報漏洩にもなっていた。そう、アドバイスをくれた方は指摘した。 また、病んでいる記事は、読む側も病む。だから、明るい内容の記事を書いた方がいい。フェイスブックは、明るい記事を書く。そういう場だから。そんな事を言われた。

私がうっかりと、いろいろ書いてしまった。そのよくない記事にアドバイスや、コメントを頂けて、嬉しかった。ごめんなさい。すごく勝手に申し訳なく思う。自分の行動は、自分で決めたことだ。でも、ごめんなさい。覚悟がなくて、ごめんなさい。

私は、文章を書くことに対して、いろいろな気持ちを持っていた。私は書きたいことを好きなように書きたかった。

誰かに同意を受けたかった。また、わかって欲しかった。認めてほしかった。求めすぎてしまった。

職場のことは、自己アピールのつもりでいた。面接用に、どんな仕事をして来て、どういうことを助けてもらっていたかを伝える練習でもあった。何が嬉しかったのか、どうしたら、他のスタッフさんの助けになるかを考えようと、振り替えりもあった。このくらいは、大丈夫だと、思っていた。甘かった。

最低限気を付けていたこともある。誰かのせいにしない、ことだ。誰かが嫌いだと書かないことだ。職場の人に対する愚痴は、あった。けれども、書くことじゃない。

悲しいこと、愚痴は書くことで私が癒されたかった。誰かに聞いて欲しかった。いつも、聞いてくれる人がいる訳じゃない。だから、書くだけなら誰の負担にならないだろうと、思っていた。言い訳がましい。読む方の、気持ちは全然考えようともしていなかった。

他の方の投稿を拝見していて、悲しいことは、具体的に書いていなかった。私は間違えていた。そう、改めて感じる。他の方は、悲しいことの処理は、どうしているのだろう。

愚痴を言わないように頑張ろうと思った。しかし、何をどう頑張るのだろう。私の好きなことは、書くことだ。ストレス発散は、すべてを書くことだ。このように、自分の状況を説明する場は、ここと、今は特定の誰かしか居ない。

家族には、言わない。なぜなら、心配するからだ。ここならば、誰も気にしない。傷つかない。そう思っていた。私の認識は、甘かった。

私は、自分だけではストレスの処理が、できない。だけど、最近は、頑張って「しんどい事」を書かないようにしていた。けれども、限界が来て書いてしまった。

そして、それが私の好きな人をイライラさせた。それは、とても、悲しかった。

ストレスを発散に趣味を見つけてみたら。そんなアドバイスは、他の人から頂く。しかし、それは出来ない。

いつの間にか、私の中で禁止事項がある。お金がない私は、お金のかかることをやってはいけない。そんなことだ。 それは、映画を観ることだ。服を買うことだ。遊びに、出かけることだ。外食をすることだ。

ひとりで、自分の作った禁止事項にがんじがらめになっていた。

だから、少し減らした。そして、別のことを書いた。けれども、それもダメだった。指摘されて、あわてて、消した。こんな考えは、間違っているのだろう。

愚痴は、私の苦しい生活は、誰も読みたくないと思う。だから、内容を減らした。

私は私のためにアドバイスをくれた方の、期待に、応えたかった。

けれども、私は完璧じゃない。全然、完璧じゃない。いつも、家族の期待に応えられない。誰かにイライラされるのは、怖い。誰かに注意されるのは、怖い。これ以上、失望されたくない。これ以上、傷つきたくない。

だから、もう今後は明るい内容しか書かないように頑張ろうと思った。情報漏洩しないように、頑張ろうと思った。

大好きな人に、嫌われたくない。頑張った。もう、疲れてしまった。

最低限、「誰それのせいで困った。」とは書かないようにしていた。それは、無意識の私のルールだった。それは、私なりの小さなプライドだった。それを、書いてしまうと、品位が下がる。無意識にそう思っていた。

フェチについて

 兄は、肌触りのフェチだ。足の裏がスベスベなことで、他人と自分を比較する。兄は、健康を保つためによくプールに出かける。そこで、泳ぐ際に他人の足の裏を見ている。その時に見た足の裏を、個人名をあげながら、汚いとか、カサカサとか、家に帰宅してから話す。さらに、彼は自分の顔の肌、手の肌の手触りがスベスベなことに気を使う。だから、彼は様々なクリームは手放せない。さらに、日焼けは避ける。風呂場では、美肌効果があるので、毎日、変な声を出している。舌を動かして、筋肉をあげるとかなんとかだ。よくわからない。そもそも、風呂場のそばを通りかかって奇声が聞こえる生活には、慣れた。もう、あの、肌に対する美しさの追及には、女の私がついていけない。

女性は大変だ。肌触りは美しくあらねばいけず、しかも、体型も痩せていなければいけず、顔が人受けしなければならない。
最近の女性は、雰囲気がめちゃくちゃ可愛い方が多い。あだっぽいとすら感じる。山田花子さんなどは、すごく可愛いと思う。小柄で素朴そうな雰囲気があるからだ。自分をしっかり持っていなきゃ、あの世界では生き残れない気がする。さらに、自分が笑われてもいい、笑わせるんやという仕事内容は、難しいと思う。

さて、私のこだわりは、体型と眼鏡だ。
ちなみに、身近な兄は、パーツごとにみたら、手足は細くてほどよい筋肉が美しいのに、胴体は残念すぎる。お腹がぽっちゃり出ている。何故、胴体が残念なのに、腕や足は細いのかが不思議だ。

足首は、特にサッカー選手やバスケット選手が、素晴らしい。細くて、三角のような均整の取れた足のつけねは、見ていて、さわりたくなる。
水泳選手は、尻、太ももと二の腕、腹筋だ。水着の上から見える、キュッと引き締まりつつも、筋肉があるお尻が好きだ。さらに、太ももと腕は硬い筋肉がしっかりついている。でも、さわるとほのかに柔らかい。(さわったことはないが)硬すぎるのもよくなくて、力を入れた時に押し返す程度の固さがよい。腹筋は、割れるか、割れないかの間の狭間が好きなのだ。肩は幅広く、プルプルと動く足や腕がいい。

マラソンランナーは、体が動くさまがよい。体のしなやかさは、野性動物みたいで好きだ。そして、よく見たら、ちゃんと筋肉がついている。そうして、よく見ないとわからないのもよい。

何故、水泳とサッカーとバスケット選手と、マラソン選手かというと、近くで目に見える美しい筋肉か、そのスポーツしか見えていなかったからなのだ。

最近、フィギュアスケート選手も気になるし、体操選手も気になる。体を支える、飛び上がるとはどんな感覚か。そして、どんな風に筋肉がふるえるのか、つきかた以外も気になる。

体型以外のフェチというなら、メガネフェチだ。俳優なら、星野源さんや岡田准一さんのメガネ姿に萌えた。メガネをかけてこそ、好みなのだ。メガネがないなら、意味がない。何故そうなったかといえば、初恋の人が眼鏡だったからだ。黒ぶちのメガネが好きだ。
メガネがその人に似合うなら、デザインはどうでもよい。眼鏡をかけて美しいなら、もっとよい。
眼鏡を外せば美人だという設定が、ある。しかし、私の好みは逆だ。眼鏡をかけてこそ、美人だと思う人が美しい。そして、はずしたら、近所の兄ちゃん、姉さんくらいの顔が良いのだ。
しかし、テレビに出て、雑誌などに出て、イケメンとか、評される方は苦手なのだ。
鑑賞するには、良い。絵にもなるだろう。もともと、世の中のイケメンというものに引け目があり、苦手だ。昔、イケメンにいじられたり、いじめられた経験があり、苦味だ。中身を知れば別だが、つい、遠い世界のイケメンは、苦手になる。まー近くにイケメンはいないから、別に苦手を出す必要はない。
だから、眼鏡をかけたらめちゃくちゃイケメンで、イケイケガールで、眼鏡をはずしたら、田舎の兄ちゃん、姉ちゃんな顔が好きだ。

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正倉院展についてのメモ

正倉院本 一堂に 書店、図書館に特設コーナー:読売新聞 http://www.yomiuri.co.jp/local/nara/news/20171105-OYTNT50110.html

こういうフェアがあるので、捕捉します。

まず、この展覧会の狙い目、人が少ないのは、平日の夕方です。 なぜなら、この期間は団体様と、修学旅行さま御一行が押し寄せるからです。 個人でお越しならば、平日の夕方、オータムレイトチケット(料金少し割引)購入をお勧めします。

奈良県内や、国立博物館と提携のある大学の在学、在籍の方ならば、学生証を見せることで正倉院展の券が割引になります。ご持参を。

参考サイト 第69回 正倉院展 | 正倉院展(しょうそういんてん)キッズサイト

正倉院展フェアを開催中の図書館と書店について〉 奈良県立図書館さんまでは、近鉄奈良駅新大宮駅、JR奈良駅から、図書館行きのバスが出ています。しかし、奈良県立図書情報館から帰りのバスは少ないので、くれぐれも時間の確認はお忘れなきように。

近鉄奈良駅近くの啓林堂さんは、行基さん像と反対側の出口です。バスやタクシー乗り場の方です。「さくら通り商店街」というアーケードの入り口をちょっと行った所です。

〈その他〉 本好きでかつ、ちょっとメジャー以外の本をお望みの方には、 近鉄奈良駅行基さん像側の入り口から、東向(ヒガシムキ)商店街と、餅飯殿(モチイドノ)商店街、そこを抜けた下御門(シモミカド)商店街の、各古書店をお勧めします。 目立つ看板はないので、よーく店を見ていてください。本が並ぶという点が目印です。

〈最後に〉 奈良国立博物館までは、ゆるーい坂道なのです。片道10分程度(ゆっくり歩くと15分)かかります。靴は、歩きやすいものをご用意ください。

紅葉は今の見頃は、吉野です。桜紅葉が見頃です。

以上、ニュース記事への捕捉でした。