チラシの裏のメモ書き

嘘と本当もあるちゃんと言えないブログ

ちょっと雑感

豚肉というか、肉団子やハムじゃない、お肉は1ヶ月ぶりだ。食べるのがすごく楽しみだ。先月は食べるのも、買うのも制限していた。今月は400円のお肉(豚肉)を買う。
そして、静岡ミカンのゼリーは、実家の母、手作りだ。母は、ジューサーミキサーを活用していた。それで、果物や野菜を汁にする。それを、牛乳や豆乳と混ぜて、○○ジュース。もしくは、寒天の素と混ぜて、砂糖を加えて、○○ゼリー。
あとは、○○ジャムにしたりだった。しかし、作りすぎて、○○ジャムは、食べれなかった。私はどちらかというと、ジャースやゼリーを食べるのが好きだった。

ちなみに私は作るなら、粉もの系お菓子派だ。スポンジケーキなどのお菓子作りの際、泡立て機の代わりにジューサーミキサーを使う。そして、よくとまっていた。(過去の話です)
ジューサーミキサーとか、果物や野菜を粉砕するやつ、欲しいなぁ。

広告を非表示にする

妊婦さんの実況中継

今週のお題「私の癒やし」
私の職場には、妊婦さんがいる。その方がたまに、立ち止まって、お腹の中の様子を中継してくれる。
「今、すごくぐるぐる回っている」とか、「今は、落ち着いている」とかだ。たまに、顔色がさえないと心配になる。また、その方の様子を見ていると、しげしげとお腹を見て、撫でている。赤ちゃんは、お腹の中から外の音を聞いていると聞いたことがある。だから、なんとなく、お腹の中のその子にも気をつけて話をするようになった。
赤ちゃんをお腹で育てている方の側で働くのは初めてだ。また、出産経験のある方も多い職場なので、皆さん比較的に妊婦さんに優しいし、理解がある。
職場の話で出産の時の困り事や、嬉しいことが聞けたりする。また、お腹の赤ちゃんがお腹を蹴りつけて痛いという、お母さんにしか、わからないことも聞ける。私は出産も結婚もしたことがないからわからないことだらけだ。また、それまで、自分をもて余していたし、子供を可愛いとか、愛しいとか思えるのだろうかという心配もあった。
実際に泣いている赤ちゃんは、なんで泣くのだろうとか、声ですごく、自分も悲しくなることがあった。さらには、お腹の様子がわからないので、町中でそういう人を見かけても、そっと、離れた。怪我をさせてはいけない、壊れそうだという心配があった。出産を体験していないし、お腹の中の様子も知らないことだ。けれども、お腹の中を中継してもらえて、自分も一緒に育てているというか、見守ろうという気持ちが持てた。
子供は授かり物で、お母さんにも、負担が多いことも知った。けれども、職場の方を見ると、中継を聞くと、とっても、嬉しくなる。勝手に癒されている。女だけどお父さんみたいな、そんな感覚だ。それは生む性だけど未体験だからかもしれない。彼女が困っていたら、助けたいと思うし、出来るだけ、意思を聞いていきたいと思う。お腹の中のお子さんのことや体調面の他に、職場の方はちゃんと生まないとという、変なプレッシャーがあるかもしれない。だから、出来るだけ、声を聞こう、様子を見ようとも思う。知ろうと思う。
見守ることは、すごく難しい。自分の親もこうだったのだろうか。親のことを振り替える。
勝手に見聞で学ばせてもらっているし、お腹の中継に癒されている。自分に見守ろうとう気持ちがあったことがとても不思議だ。

安藤さん図書館建築ニュース感想メモ

図書館利用者として、気になるニュースへのメモ書きがある。
乙女なフワフワ感想だし、データはないから、説得力はない。さらに、思考内容も論文コピペだ。それでも、やっぱり出す。

9月19日頃のニュース。
<建築家>安藤忠雄さん、大阪市に図書館寄贈 寄付募り設計(毎日新聞) - Yahoo!ニュース
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170919-00000046-mai-soci 

お友達さんに空犬さんのことを教わる。空犬さんという方の記事が論点が整理されている気がする。

子どもたちに必要なのは立派な施設だろうか | マガジン航 [kɔː]
https://magazine-k.jp/2017/10/06/what-is-ideal-library-for-children/

空犬さんの主張は、3つだ。
一つめは、安藤さんが今回の件を思い立ったという「新聞や本を読まない子どもが増えている」のかという問題について。
二つめは、子ども向けの施設をつくったとして、その利用率に影響の大きい対象年代の人口減少がどの程度考慮されているのかについて。
三つめは、安藤さんが寄付されるのは施設のみで、《蔵書集めや運営費用も企業や市民からの寄付を広く呼びかける》とされている点について。

 どれも納得できる内容だった。いろいろなデータを上げて、安藤さんの意見について、見解を述べている。
 この意見に対して、私は、安藤さんのことを感覚で述べる。安藤さんは気持ちだけが先行している気がする。彼の気持ちは良いことなのだけど、本当にそうなのだろうか。

 安藤さんの言葉や気持ちを見たら、『子どもに図書館が必要』は、とても素晴らしい考えだと思う。そういう考え方を大事にしたい。
 けれども、安藤さんは、図書館の建築は、学んだことがあるのだろうか。それと、実際にあった、大阪が国際児童文学館を縮小した事例を調べたことがあるのだろうか。そして、今ある図書館の維持とか、自治体での位置付けとか、それを支える人間の生活とかの数値的なデータを知っているのだろうか。
以下は想像したことだ。行政とか公共サービスは、そもそも公共サービスを維持する人間の人口減少とかで、自治体にお金がまかえなくなっている。無料だから、低価格だから、さまざまな人が利用する。それは、一面には優しいけども、一面には優しくない。そういう公共サービスを維持するために、人件費をおさえるということも出てきた。だから、公共サービスは、あらゆる手で外部に必要性をアピールしなきゃいけない。自力で、人目を集める取り組みをしている。これは、公共というサービスがほとんどそうかもしれない。
 公共サービスは行政のするものだけじゃない。例えばJRとか、近鉄や各種鉄道や空路なども公共サービスに含むだろ。あと、他の各都道府県のバス会社、そして、調べると病院もそうだし、公民館もそう。福祉施設もそう。なんというか、困った時に助けてもらえる施設全体をさして、公共サービスというのかもしれない。それらは、今までは自治体の援助を受けてきた。けれども、自治体も事業にお金が回せなくなって、民営化したり、経費を下げたりしなきゃやってられへん。そして、多分、行政が行う公共サービスを支える人間にお金は回さなくていいやとなった。また、今まで頑張っていたからお金を出さなくていいよの、年齢層も増えたから、税がそんなに取れないと思う。それなのに、サービスは変わらない。そうしたら、他の営利を求める企業も、行政がそうするからと、支える側に人に、きちんとお金は出さないとなっていったのかもしれない。
 誰が悪くしたわけではないけど、生きてた人がいろいろ無視した結果だ。だって、常に私が小さい頃には人口減少が教科書に載っていた。
 こういう考えは、あくまで、想像だから、データはない。お金は寄付頼りにも、疑問だ。寄付で成立するサービスもあるけど、それは十分な説明や、背景が理解されているからだ。
 何回も書くが、安藤さんは、公共図書館の現状や、公共サービスの背景を理解して、図書館を作ろうとしているのだろうか。きちんと、お金を寄付で補うために説明が出来るのだろうか。支える人を支えるサービスがあり、子どもが少なくなるだろう、さまざまな将来を見越しているのだろうか。
 
 大阪国際児童文学館の廃止のことは、大阪府のホームページにある。こちらは、平成23年度11月30日に更新がされている。
大阪府財政再建プログラム試案」http://www.pref.osaka.lg.jp/gyokaku/zaiproshian/index.html
 プログラムの概要を個人的に意訳する。
 大阪の財政は非常に困難な状況にある。そこで、収入の範囲内で予算を組もうと決めた。そのために、府が財政改革チームで財政再建の案を作った。これを元に、府内の市町村全体でも、同じように取り組ませる。だから、市町村の関係部局とも話して、市町村を含めた財政再建案を作る。実施する。

この試案の資料一覧でピックアップするのは、「財政再建プログラム試案資料 (出資法人)」のpdfだ。これは、"大阪府改革プロジェクトチーム "により作られた。
PDFの43ページに、大阪国際児童文学館の資料がある。それによれば、
" 館や法人が担う機能は維持する必要があるが、蔵書収蔵スペースの問題や効率性を高めるという観点から図書館へ蔵書を移転し、法人は廃止 "と、平成21年度に決まった。

そもそも、大阪国際児童文学館とは、一般財団法人 大阪国際児童文学振興財団が運営する施設だ。
http://www.iiclo.or.jp/m2_outline/01_organization/index.html
 法人は、児童文学等児童文化に関する図書その他の資料の収集、保存、活用及び研究ならびに国際交流に係る諸事業を行うことにより、大阪の児童文化の振興に資し、もって児童の健全育成に寄与することを目的としている。

ここには、効率性というのは出てこない。効率性って、なんだ。

Ciniiで「公共施設 効率性」というキーワードで検索した。

以下のような論文かヒットした。
CiNii 論文 - 公共サービス改革と公共的対話について : 討議・熟議の研究を考慮した行政学に向けて
http://ci.nii.ac.jp/naid/110009877428

気になるので論文の一部を自分なりに、解釈して書いてみる。引用ではない。
 論文によると、公共サービスを受けたい人は一般的に無料とか、安いというのが良いと思うらしい。さらに、公共サービスという言葉はいろいろな学問分野にあるけど、ずっと曖昧なまま、使われてきた。90年代に、とりあえず曖昧だが、公共とは市民と行政が両方で有するという考えが出来た。それは、委託とかで、行政が担わないサービスも、公共施設などで行われて来たからだ。必ずしも、行政が担うものが公共サービスではない。あと、実際に必要な公共サービスを利用する層と、負担層は異なる。しかも、だいたい、サービスの実際を、負担する層は知らないことが多い。おそらく利用したことがないことや、それぞれの負担者の考え方による。公共サービスは、無料であることや、安さを維持するために、運営費の大半を占める人件費を削ることによって、サービスを提供する人間が低賃金になることは知られていない。公共サービス改革の現実的課題は、サービス削減による生活環境の変化の受け取り方による、それぞれの市民の人生観に関わる感情的なことに向き合う必要があることだ。意見を言いたい市民もいるけど、公共サービスはさまざまな人にとって多様に差異のある生活基盤を支えるものである。その該当するサービスが生活の何をどのように支えているのか 、または、阻害することもある。そういうことに目を向けないとわからない。
 ある公共サービスがある。それについて、必要とか、不要とかはそれに対して、個人が普通だという生活習慣や日常規範により、決まる。個人すべてに、公共だとして、押し付けてはならない。さらに、サービスの対象者が置かれている「生活」と、そのサービスをほとんど利用していない人の「生活」とのズレを互いに知らない。サービスも、そこまで深くは扱えていない。生活認識のズレは、しばしば感情的な摩擦を引き起こす。サービスを当然視する主張と,それを他の理由から大きく制約することを主張する人との,公共という考えのズレをこすりあわせる必要がある。
 高橋さんの論に従うと、ある公共サービスを非効率だと言う人は、それを利用したことがない。それを利用しないまま、自分の行動規範や規則、生活感覚で、捉えたら、サービスは不要になる。でも、利用してみたら、こんな困ったがあったり、こんなことが良いのだな、必要だなと思う。
 大阪児童文学館の廃止の理由を見ていたら、おそらく、"利用率の数字だけでお金がかかるからと判断した"と推測されても仕方ない。

 だから、安藤さんの建物も子どもが少なくなって、維持が出来なくなったら、利用で効率が悪い。だから、助けるのはやめよう。そうなるのじゃないか。

たまには、英語でも。

When I came back home, the mikans(means oranges) ware on my desk. "We ware waiting for you~." I thought it as such a face.they born in Shizuoka. In the storm they were brought to my house by my brother .

f:id:okitumo:20171023011820j:plain

家に帰ったら、みかんがあった。待ってたよという顔をしていた。静岡産だ。兄が、この嵐の中で、わざわざ持ってきてくれたみたい。

英文は、Googleの翻訳機能で作る。しかし、一応、つたないながら、英単語を知っている。それで、英単語を変えてみた。何回か言葉を変えた。それは、私にもなんとなくわかる単語で、相手にも通じるような言葉だ。
その中で、ある発見があった。それは、どちらにも通じるように文を作るのは、難しいということだ。例えば、英語的な言葉を使うと、変な日本語になる。逆に日本語的な言葉を使うと、英語が変になる。だから、何回も言葉を選び直した。
あと、Googleの翻訳機能は、言葉を日本語的に意訳することもわかった。けれども、他の翻訳機能を持つサイトでは、変な日本語表現となる。そんな発見があった。

《独り言》
最近、フェイスブックで顔見知りでない方からの、友だちリクエストが多い。友だちになるのは、嫌ではない。だって、知らない方との出会いは、新しい考えに出会うことだからだ。それは、とても楽しいからだ。だから、お声かけを頂き、大変ありがたいと思う。
ただ、私はとても不安だ。いつも、自分の中の悪い想像で、ひとりで勝手に押し潰されそうになっている。
友だちリクエストを頂くたびに、私でいいのだろうか、そんな風に思う。
面識のない方は、特にそう思う。
自分の不安感に気持ちが向いてしまう。そう考えながら、書きながら、なんて失礼な考えだとも思う。
もっと、リクエストをしてくれる方の価値観を受け入れられたいいのにと思う。
もっと、他の方に気持ちがむけばいいのにと思う。
けれども、不安でたまらないのも確かなのだ。
いろいろな気持ちが私の中にあるのだな。

あと、一人、気になる方がいる。その方が不安をはきだす。言葉は、無視は出来ない。けども、私は素直に不安を吐き出せない。どうしてもだ。弱さを見せることが出来なくなっている。その方を励ます自分がいる。

日常で弱さを見せることが出来るからかもしれない。


わたしには好きな人がいる。彼の弱さを受け止めたい。けれども、彼はそうしない。どうやって、見守ればいいのか。
彼を心配するのは私の勝手だ。彼を見守りたいのも、気持ちは私の勝手だ。

どうしたら、彼が気持ちよく過ごせるのだろうか。なんでこんなに、私は苦しいのだろうか。

会えなくて、さみしい。けれども、気持ちがしんどい。どうやって、吐き出したらいいのだろう。どうやって、お互いに吐き出せる雰囲気に出来るだろう。彼はそれを望んでいるのだろうか。

整理のつかない透明

 サントリーの商品のひとつに、透明なミルクティーというのがある。見た目は、天然水だ。でも、ただの水ではない。味はミルクティーそのものだ。
 最近の商品では、そのように味がついている水がある。これは、パッケージがなければ、見た目からは何味かはわからない。味見をしたらば、何味かわかるだろう。
 人間もそう。言葉にしなければ、中身に何かあるなんて、わからない。教えてもらわなきゃ、わからない。そういう私には「生きにくい」という感覚がある。誰しも抱えているものかもしれない。これは言葉にしても、自分でもいまいちわからない。けれども、私の感覚をどうやって言葉にしたものか、すごく迷う。

 私の友人に「うめそと じょうよう」さんという方が居る。その方は、アルコール中毒仏教徒だ。
 本人がすごい、仏教徒ということをアピールされる。何仏教の人なのかは、知らない。彼は、ある施設に勤めている職員さんで、ボランティアを通じて知り合った。

 昨日も夜に涙が止まらなくなり、泣きながら、帰った。涙のわけは、いろいろある。わたしが、乗り越えられていない過去の古傷を自分で話したこともそうな気がする。わたし、桜井三和は、一度死にかけたことがある。それを話すと長くなるから、書かない。何回か、罪悪感に私自身が殺されそうになった。
 
 私について、とてもわかりやすく、説明するなら、うつ病に片足を突っ込んでいると言ったら通じるのだろうか。そうやって、パッケージをつけたら、わかってもらえるのだろうか。透明なミルクティーは、薄味のミルクティーだった。味はするけど、見た目が違うのと、ちょっと水くさい。感覚は自分で理解しないと、わからない。もっと具体的なパッケージをつけたらわかるのだろうか。
 
 うめそとさんと、わざわざ平仮名で書いているのは、私が彼の漢字の名前を知らないからだ。住んでいるところは知っている。奈良市らしい。そこから、わざわざ、京都府まで通っているのだから、すごい。 けれども、それは、うめそとさんが教えてくれた情報で、本当のことは知らない。彼の家が奈良市にあるのは、たまたま、飲み会をそこでやったからだ。家は近くだからと、夜の街に消えた。
 施設で、勤めている。彼は、施設の中では「うめそと じょうよう」というキャラクターが出来ていて、私と話すときには、別の「うめそと じょうよう」が出ているらしい。
 けれども、私、桜井にはそういう切り分けがないらしい。
 まったくらしい、らしいとしか言えないのは、うめさんが断定しないからだ。
 私は、パッケージ化が好きなのでまた書く。一応、病院にもかかっている。定期的にカウンセリングというのも受けている。そして、最近、薬を減らしてもらった。けれども、薬が減ってからか、なにかがたかが外れたように辛くなった。
 最近の心の様子は、知らない。忙しくしていた。毎日、毎日「掃除をしよう」「洗濯をしよう」「メッセージを送ろう」とやることを決めて、動いていた。たまに、心が自分攻撃を始めて、いじいじとする。痛くなる。そういう時は、その時用に薬を飲んだ。8月はそういうことが少なくて、たまに、涙が止まらない日もあったし、たまに人にイライラしたり、たまに、忙しすぎて何もかもがどーでもよくなる日もあった。
 ちょっと、最近、気持ちの体調がよろしくない日が続いていた。少しずつ溜まっていた疲労が気持ちが、バタバタ暴れだした。
 そういう日もあるさと、思いながら自分にひとりで付き合っていた。無理になったら、誰かが助けてくれるさと思っていた。しかし、助けを呼ぶにも人には限界がある。ついに、限界が来た。涙が止まらない。
 理由は、結崎さんに、呼び出されたからだ。いや、理由の説明になっていない。結崎さんは、東京の大学に通っていた。その関係で、地方にも知り合いが多い。理由は知らないが、東京の大学の後輩の方と、その方より後から入社した方々が、うちの花屋を見学に来たらしい。
 ちなみに大学の後輩さんは、香川県で働いていて、京都に本社を持つ企業に勤めていらっしゃるらしい。その方が研修先の若手を見に、関西まで来たらしい。若手は京都と、奈良の方で働いていたらしい。若者には、外回りをさせよという方針のようだった。うちの会社も同じ企業系列だから、結崎さんと知り合いらしい。
 名前は面倒だから、香川さんとする。香川さんと、結崎さんが、大学の同期というなら、嫌な人だと思う。東京の人は、なんでストレートなのだろう。私がアルバイトで、花屋で働いていることを聞き、年齢を聞いた。そして、病気のことも聞いた。
 そしたら、「この市程度でしんどいと言うなら、忙しいとこは無理」とあっさり切り捨てた。あっさりし過ぎて、後から傷に気づいたくらいだ。結崎さんのことも「優しい」とか「五センチ、地面から飛んでいる人」とか言う。なぜ、そういうことを本人の前で言うのだろうか。さらに、謎なのは、5センチという微妙な数字なこともだ。なんだろう。
 その呼び出し日が木曜日だ。前日、水曜日に私は会社を休んだ。火曜日の帰宅後に、波が来た。病院にもかかれず、辛くて、家族に連絡した。そうしたら、心配で来てくれたようだった。けれど、「もう、薬を大量に飲んで楽になろうとしないように」と、事前のメールには書いてあった。
 目の前に居る家族は、お米を持ってきてくれた。お礼を伝えた。
 「来てくれて、ありがとう」けれどもと続く。「いちいち、言葉のボールで私を打たないで。痛いから。もう二度目はないよ」と釘を指した。そんなこともあり、結局仕事翌日にを休んでしまう。

………水曜日の晩
 結崎さんから、「平気?」というメールが来て、「気晴らしに、ご飯とかどう。会社の後輩が来るの」という。最初は、なんとなく行きにくいと思った。
だから、「私なんかがいてもいいのですか。」と聞いた。
結崎さんからは「私だって、ひとりじゃ寂しいから」と返事が来た。
モヤモヤした。けれども、声かけが嬉しくて、最後には「行きます」と返事をした。
 結崎さん、後輩の香川さんと私で女三人と、若手の男の子二人は、職場の前で待ち合わせた。
 
話の流れで「20万くらい自分に投資しなさい」と、香川さんからは言われた。
 帰りに結崎さんに、「話し足らない」と、話をしようとした。そしたら、私のせいで結崎さんが、課長さんから大目玉をくらったらしいと聞いた。
 なんだろう。悲しいと思った。私は生きてるのがすまないと、思った。
帰り際に涙が止まらなくなった。泣きながら、夜道を歩いた。
なにがどうなって、生きているのがつらくなったのか、わからない。ただ、悲しかった。わたしは馬鹿で、仕事も出来なくて、結崎さんには迷惑をかけていて、なんでだろうと思う。
 なんで花屋になりたいと思ったのだろう。なんで、教育実習をあきらめたのだろう。なんで、誰かの悪口ばかり言ってしまうのだろう。
 多分だけど、怒るのも悲しいのも、その感情を自分に許せる家族がいたから、彼らにぶつけることが出来た。それは、とても甘えていた。今はひとりで、どうにもならなくて、泣くことすら出来なかった。自分に甘えることが出来ない。
 なんでだろう。本当は、悔しくないのじゃないだろうか。そう、思っていた。あと、前に感情表現をするのは、場をわきまえろと言われた。だから、ひとりで夜中に泣いていたのかもしれない。ひとりで泣くしか出来なくて、頼りなかった。寂しくて、たまらなかった。仕事中の中川さんに電話をした。出てくれるわけもない。
上から数えて、伊勢田さんも出なくて、最終的にうめたけさんに行った。久しぶりに、ほんまに久しぶりにうめさんに電話をした。うめさんは、話を聞いてくれた。最近は電話が減っていた。
電話口でめちゃくちゃ笑われた。いきなり、泣きながら、電話をして来たら、ビックリするだろう。今ならそう思えるけど、そのときはそうは思えなかった。
笑ってくれていて、少し安心した。あ、良かった。私が泣いても、怒らない人が居る。うめたけさんは、そういう所が優しい。本人は認めたがらないけども、実は面倒見がよくて、厳しい。
厳しい癖に優しい。

けれども、相手にも限界がある。自分で自分の面倒を見ていかないといけないのに、誰かに頼るしか出来ない。我慢できる日数には限りがある。

梅さんと話していて、私みたいに言葉が通じない相手は、健常な人間を相手に通じる言葉を見つけなければならないと言われた。
さらに、自分が生きにくいという感覚を相手に、ぐいぐい押し付けすぎてはいけないとも言われた。
結崎さんからも、帰り道に似たようなことを言われていた。
整理がつかない。結崎さんに言われて傷ついて、うめそとさんからは、気にならない。

今のところ、さまざまな出来事がごちゃごちゃしている。
まず、必要なのは、論理的に相手に話す力だ。思い込みでなく、見たままをだ。
さらにそれは、脳内翻訳する機械を、頭の中にも作る事だ。
 わたしは生きにくい。とりあえず、コップの中に怒りも憎しみも溜め込んだら、泣くしか出来ない。
 自分で泣けるようになっただけ、マシだ。前は、子どもみたいに、誰かが居ないと泣けなかった。甘える人が居ないと、泣けなかった。けれど、最近、一人で泣けるようになった。
 いちいちミルクティーには味がついていり。パッケージでそうやって、宣伝しなくても、泣けるようになった。これは、進歩らしい。とうめさんは言うのだ。けれども、本当かしら。

ただ、うめさんみたいに、一緒に居てくれるだけで、いいのだけどと思った。それは、うめさんが私の居るとこまで降りてきてくれてるからだろうか。

文庫貸し出し禁止お願いから考えたこと

本を読む私の中で、そして、図書館ユーザーとしても、気になるニュースがあった。

文庫本「図書館貸し出し中止を」 文芸春秋社長が要請へ:朝日新聞デジタル
記者:赤田康和氏,2017年10月12日付け記事 文庫本「図書館貸し出し中止を」 文芸春秋社長が要請へ:朝日新聞デジタル

このようにニュースで報じられた。結果、西野さんという方が反応した。

キングコング西野さんのオフィシャルブログ
「魔法のコンパス」
全国の図書館職員の皆様へ
2017/10/15 15:17
キングコング 西野 公式ブログ - 全国の図書館職員の皆様へ - Powered by LINE

中身は、引用しない。とりあえず、全国にある5500近い図書館に(すべてではないみたいだ)、自費で本を寄贈するという試みと、その説明文がある。

様々な方々の投稿から考えが変化した。
まず、10月13日付け投稿文(読みやすく、編集)。
………………………
【文庫貸し出し禁止について】

 本を買うということは貴重なことだ。それは、手にいれてもいいということだ。そのために、何回も読めるものを探そう。そういう機会の提供を図書館がして、出版社さんは、その機会のために図書館を援助することで、未来の購買層を作るというのが私の理想だ。

 私はお店で本を手に取る時は、すごく慎重に本を扱う。それは次に買う人や手に取る人が居るからだ。本を貸し出すのを禁止されたら、たとえどんな本でも、悲しい。なかなか、本が買えないので図書館で借りる。そして、携帯しやすいので文庫を選ぶ。その文庫本を読む機会を失うのは、悲しい。

 貸本屋とは、図書館としては言われたくないだろう。けれども、本を手に入れ、見るために出会う場所を図書館と考えたら、次は書店で会いたくなる。利益にならないのは、図書館のせいなのだろうか。 
 出版社も売れないからしんどくて、余裕がないから、辛口になる。きっと、そうやって言ってしまいたくなるのではないか。どこもかしこも余裕がないから、誰かが痛くなることを伝えてしまうのではないか。

 お金を出すには、お金を出させる本を見るための、見本市が必要だ。
例えば図書館という場とか、書店とかだだ。しかも、本を買う人がお金をもらえる豊かさも必要だ。働く場、学ぶ場だ。あと、本にお金を出していいという、目の肥えた人についても、ユーザーにより良いものを提供しようという意思や対策も必要だ。
私の考えでは、自治体にお金がないから、効果の見えにくいという理由から、図書購入費が先に減らされていると思う。
あと、様々な思惑のユーザーがいて、図書館で何百人もの予約者が出るのかもしれないと思う。

お金、お金と書いたけど、そういうお金はどこから出るのだろうか。
さらに、図書館利用ユーザー、文庫購買層の財布の紐は、そもそも固いのだろうか。何回も言うが本や文庫が売れないのは、図書館だけのせいなのだろうか。
何回も読まれる本は、経年劣化や利用を考えて最低限2冊程度は、図書館で購入されているハズだ。だから、出版社にとっては、図書館は、結構なお客さまだと思う。また、図書の購入費が少ないのは、全体的に自治体もお金がないからだ。他にも理由があるが。

もっと、図書館も、本屋さんも、出版者さんも本が回転する仕組みを協力して作らなきゃいけない。そもそも本を購入するお金を作る仕組みを作らなきゃ、やってられない。

わたしの現実には、お金がないから買えないのは、よくある問題。お金を出しても買うのは、作者さんや、お店を守りたいからもある。けど、無理は出来ない。
……………………………………………………

【図書館という空間について】
文庫棚には、ライトノベルと、今の流行りの本と、古典などいろんな本があってもいいと思う。別に私の許可なんて、図書館は求めてないけど。それこそが図書館という自由な空間の棚だと思う。流行りの本しか読まないことや、流行りの本の購入希望が多いことを利用ユーザーの見る目や、価値観が下がったと結びつけるのは、自分の考えとは異なると感じる。図書館の購入希望者にはいろいろなユーザーがあると思う。
ひとつは経済的な理由で思ったように、本が買えないユーザー。
もうひとつは、それほど長く手元に置きたい本ではないから、図書館頼りというユーザー。
そして、図書館で見てから、本を買いたいユーザー。

文学の価値をわかっても、わからなくてもいい。いつか、わかればいい。そのわかるとか、わからないという機会を提供するのが図書館ではないか。利用ユーザーに、多様な価値に出会う場を提供するのが図書館ではないか。
だから、特定の本があるせいでこんな発言がとか、ユーザーの価値観の低下は、本の売り上げとは関係ない気がする。
本を自由に読める空間において、権力者の声に従い、貸し出しや見ることを禁止されるのは、利用ユーザーとしても、悲しいと思う。だが、利用ユーザーの希望をかなえる図書館であってほしい。
……………………………………………

上の2つのタイトル文はフェイスブックの投稿文だ。多少考えが変わってもいる。コメント欄への返事など、自分の文章をまとめてみた。

>>金銭面について
家庭を持つとか、子供が出来るという環境など一人で自由になるお金がない環境
では、なかなか、金銭面に余裕が出来にくいと思う。

>>図書館という存在
利用は無料だ。けれども、市民の税金から、図書館に予算が出ている。資料購入費が割り当てられ、出ている。だから、無料だけど、実は見えない所でお金が払われている。

>>子供と図書館
図書館には、なかなか、子どもは利用しにくい雰囲気があるかもしれない。
子どもに対して、普段から触れあっている大人の方は別だが、そうじゃない方もいる。そういう中で子ども少し寛容でない雰囲気が館内で、出来てしまうかもしれない。
感覚的に図書館の運営する大人も、利用する大人も、子どもたちにどうやって接していいかわからない部分があると思う。 

>>本を読むことを選ぶ
今はさまざまな娯楽メディアや、機器がある。この中で本を読むということや、本を買うことを選ばせるのはなにか。

>>本を読む機会
生育過程、家庭環境、人生の道筋で本に触れる機会があるかどうか。
本に触れる場所(図書館、書店、家庭)での過ごした記憶がどんなものか。
育った近くの図書館や書店が利用しやすい場所であるか(立地、人の問題)。
きちんと図書館や本、書店への知識があるかどうか(図書館なら利用が無料だとか、本屋さんでも本探しを助けてくれる人が居るとか)等などだ。
それにより、本を使う人、買う人も変わるのではないかと思う。

本との出会いは、様々にある。普段から本を利用したり、好きじゃないと「図書館が使える」とか、「本を買う」、「書店に行く」ということは、なかなかしないのかなと思う。本は、ふれないとどういう物かわからないままだとも思う。

>>自分が本を読むきっかけ
わたしの家庭には本が溢れていた。父も母も、いつ読んでいたのか、わからない。ただ、二人の専用の戸棚が2つあった。そこが、本で埋まっていた。父の戸棚は実用書で、母の戸棚は、手芸の本が多かった。

家の中で公共図書館に通っていたのは父だけだった。次に父に頼んで一緒に通いだしたのが兄で、その次が私だった。
そのあとには、子どもは自分で自転車で行くようになった。
私は、家庭に本がある空間で育った。そして、本は買うより図書館という風になる。次にお金が出せるようになってから、買うこともした。

>>本について思うこと
本を読むことは、楽しい。けれども、時にわからないということに向き合う、苦しみもある。それが読めずに挫折すると、苦しくてたまらない。だから、わかる範囲しか読まない。そういう屈折がある。また、読むことで、自分が何を考えているかを著者と対話し、確認しながら読むことが出来ると思う。心の認知を確認する自己認知療法みたいにも思う。

本について、わたしは気楽に読めると思う。だが、「本は、高尚で難しい」というイメージが蔓延しているのかもしれない。

>>他にもちょっと考えたこ
本という手段があることや、教育の機会により与えられるものがある。私は最近、草花観賞や空に興味を持ち出した。それは、周りの方の影響だ。それで関連の本を読み出した。昔を思い出すと、学校教育の中にもいろいろと、今の興味につながる根を持てるような工夫があると気づく。例えば、小学生時代の星座版を使った星空見学会とか、調理実習、野外活動などだ。子どもには、いろいろなことに興味を持ってほしいと思う。その上で興味を持ったものや、困ったとき、気になった時に本という手段(それは、漫画でも文章でも、絵本でもなんでも、とりあえず、情報)があったらいい。

>>情報について
インターネットより、学問的な分野とか専門知識を拾うには、本が勝るという気がする。様々な実体験の上に本という情報手段があり、未来に選択肢を増やせたら、嬉しい。本好きだから、本が第一だが、もしかしたら、本はいつかは時代に、取り残されてしまうのかなとも考えたりもする。

………………………………
それで以下のような文章に出会う。
これは、フェイスブックのお友だちさんの紹介だった。

空犬通信
図書館と文庫のこと【更新】
2017/10/15
空犬通信 図書館と文庫のこと【更新】

引用は、しない。
メディアをきっかけにし、最初の元の発言にあたることの大事さを教えてくれる。また、出版側の厳しい状況がこの文章から想像される。原文にあたらず、様々な憶測で文章を書いたことが恥ずかしい。そして、空犬さんに勝手に、原点にたち戻る大切さを教わる。

インターネットは、こういうとこで良さがある。間違えていても、原文を、原点を探してくださるユーザーがいるところだ。

本にも、インターネットにも、図書館にも、限界がある。けれども、良い悪いを見ながら、併用していける。

その機会を子どもたちや、利用者の方に与えていけたい。

また、考えた。
私はいろんな利用者の方々に向けた利用を考えて、困っている。
すでに成人された方々の、多様な考え方、生き方、ありかたに寛容になるのが出来ずにいる。

私自身は社会や、職場から、私のような、器質で周りに迷惑をかけてしまう、困った人を受け入れてフォローをもらってきた。
しかし、わたしはわからずにいる。
 社会がどのように、私のような知らぬ間に迷惑をかけてしまう、それを諭さないとわからない人に社会にあるルールを伝えていくか。支援していくか。それを実現し、あるいは、社会にある見えないルールを具現化して伝えていくか、ということだ。
うまく言えないが、わたしは困っている人だ。
けれども、似たような困っている人には、とても不寛容になる。
もしくは、その方々の望まぬことをやってしまう。
そもそも本人さんは困っているのか、いないのか、勝手にこちらがやってもいいのか……。
結論がない。
わたしは寛容にならないといけない。
自分が図書館や今までの職場から、困っている人ではなくて、健常な人と同じようにして扱われたり、困った時はフォローされていたのが嬉しかった。
それを社会に返したい。
箱だけではいけなくて、人とか、お金とかも、必要なのだ。
 図書館を利用をする人のことを知るために、また、困った人が必要な知識を得る場も必要だとも思いました。
あと、わたしは運営者には、ちょっと向いていないとも、思う。
めちゃくちゃ厳しすぎるし、多様な年齢層のいろんな面良い面、出来なくなる面、また、働き方に求める面、図書館に求める面が見えないから。

私の情報収集方法

情報環境
インターネット環境と、ラジオのみ。
テレビはない。

kitoneさんのプロフィール - はてなさんという方が居て、だいぶ前から、この方のblogの以下の記事のように、情報収集をしています。
………作者さんのお名前などを間違えていました。すみません。誠に恥ずかしいです。
図書館関係の情報の集め方 - ささくれ


方法は、Googleアラートに特定の単語をぶっこみ、毎日一回メールを送っていただくという形です。

日常会話についていくためにニュースはラジオとLINEから集めています。ラジオは主に関西版ニュースです。

他にインターネットは、LINEの公式ニュースアカウントで主な全国紙と地方紙をさらっています。
三重放送、伊勢新聞河北新報西日本新聞福島民報神戸新聞琉球新報、奈良放送、読売、日刊工業新聞などです。
これらのアカウントをフォローして、気になるものは、インターネット検索して情報にあたっています。検索上位はヤフーニュースです。
最近、ヤフーニュースも孫引きだと知り、どうしようか困っています。
詳しくは有料記事なのであたれないとかもあります。

あとのネックは、LINEとメールの通知が来まくり、読むのが面倒になっています。メールマガジンは「困ってるズ」「カウンセリングサービス」に当たります。

あと、精神的な安定に必要な占いは、「しいたけさんの週報占い」、「ルーシーグリーンさんの占い」、「石井ゆかりさんの週報」です。どれも、私の心のブレーキです。

他にフェイスブックと、ツイッターも情報資源です。

フェイスブックは、カスタマイズされた広告や情報が上に来やすいから、ちょっと探しにくい時もあります。しかし、人が発信しているので、顔が見えるローカルなメディアかと思います。繋がりを顔見知りに限定しているから実現できます。
他のネックは、アプリで見ていると自然淘汰で新しい記事が見れないことが起きてしまいます。コメント記事が上に来るから、新着を見逃しやすいです。
だから、たまに、インターネットのパソコンウェブ版から確認しないといけないことです。
ケータイウェブは見やすいのですが、広告が面倒だから、インターネットウェブを開きます。

あと、ほんまは新聞は紙に当たるのがいいし、そっちの方が全体的に物事が見えると思います。インターネットは速報性は高くて、その代わりに信頼がまだ、新聞に追い付いていない感じを受けます。
日本のメディアは、国連から見たら、日本政府よるあまりよくない干渉を受けているとあります。そういう操作があると聞きました。それが、真偽はわかりません。
しかし、まだまだ、新聞への信頼は絶大です。インターネットの情報でお客様に通じないから、新聞ネタは大事です。

あとは、Yahoo!知恵袋や、読売発言小町食べログクックパッドも大事な情報源です。

業者が書いていてもわからないし、書き方のマナーが崩れていたり、読み手にとってはいくらでも解釈の出来る書き方という短所の部分もあります。
しかし、みんなでよくしていこうという集団的な無意識の意志があるかぎり、よい部分もあるとも思います。

だから、メディアから、こういうクチコミやら、相談所まで、読みます。

広告を非表示にする